追分機関区跡
JR北海道はなぜ追分駅を京都の梅小路のような蒸気機関車の
テーマパークのようにしないのだろうか、追分機関区跡の広い構
内はほったらかしの状態です。最後のSLが走ったのが昭和50年
室蘭から岩見沢まで、あれから38年、すっかり鉄道を取巻く状況
は変わった、ほとんどの駅が無人になり、ローカル線の列車はワ
ンマンになり、貨物輸送もトラックにおされ減ってしまい、廃線、廃
線で乗換駅も減り、立ち食いそば屋もほとんど無くなり、駅前パチ
ンコ屋も無くなり、鉄道は以前の人員の移動、貨物の移動という
だけの役割ではなくなり、乗ること自体を楽しむような時代が来て
いるのだと思う。ほとんど無くなった臨時夜行列車を企画し切符を
発売すればすぐ売れてしまうなど、ただの移動手段ではなくなっ
ているのだと思う。子供のころ少し遠くに行くときは必ず鉄道であ
った、必ず太いちくわを買ってもらい、駅弁も買ってもらったりし、
鉄道には普段と違うものがあった、修学旅行も列車で行った、来
年江差線がなくなるなど、鉄道が減る一方だがどうにかならない
ものだろうか
0 件のコメント:
コメントを投稿