2013年5月13日月曜日

追分機関区跡


JR北海道はなぜ追分駅を京都の梅小路のような蒸気機関車の

テーマパークのようにしないのだろうか、追分機関区跡の広い構

内はほったらかしの状態です。最後のSLが走ったのが昭和50年

蘭から岩見沢まで、あれから38年、すっかり鉄道を取巻く状況

変わった、ほとんどの駅が無人になり、ローカル線の列車はワ

マンになり、貨物輸送もトラックにおされ減ってしまい、廃線、廃

線で乗換駅も減り、立ち食いそば屋もほとんど無くなり、駅前パチ

ンコ屋も無くなり、鉄道は以前の人員の移動、貨物の移動という

だけの役割ではなくなり、乗ること自体を楽しむような時代が来て

いるのだと思う。ほとんど無くなった臨時夜行列車を企画し切符を

発売すればすぐ売れてしまうなど、ただの移動手段ではなくなっ

ているのだと思う。子供のころ少し遠くに行くときは必ず鉄道であ

った、必ず太いちくわを買ってもらい、駅弁も買ってもらったりし、

鉄道には普段と違うものがあった、修学旅行も列車で行った、来

年江差線がなくなるなど、鉄道が減る一方だがどうにかならない

ものだろうか